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沿海州周辺の歴史

1 :プリモルスキー:02/02/20 17:10 ID:BCeImVDM
ロシアが沿海州を領有する以前はどういう人が住んでいたんでしょうか?


2 :2:02/02/20 18:31 ID:nzQC7nml
2

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/20 19:21 ID:ARo7Vzit
オロチョン?

4 :  :02/02/20 19:42 ID:bv7V6Cqe
渤海

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/21 23:07 ID:iJmpbtAH
昔なら粛慎、刀伊、靺鞨、女真。

現存する先住民族はウデヘ、オルチャ、ナナイ(以上南ツングース語派)、
及びニブヒ(古アジア諸語)等。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/21 23:44 ID:Q80OLyMd
昔中華民国領だったけど,
漢民族はいたのかな?今でもいるのかな?


7 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 02:32 ID:x+pvrabm
>>6
民国の前の清代前半でしょ。今いるとすればソ連崩壊後に出稼ぎに来た華僑。
帝政ロシア時代を通して住んでいた漢民族は・・・・いたのかな。

8 : :02/02/22 08:27 ID:NdfQGpNB
中国東北部を含めてあの辺一体は北方異民族(漢族の目から)の居住地域です。
だから、元々、漢族が住む地域ではなかった。

現在は東北地方でも漢族がいっぱい住んでいるらしいです。
ロシアの沿海州はよくわからないけど、先住民が細々とくらしているんじゃない?
今ではロシア人が多数派だろけど。

それよりウラジオストックっロシア人くる前は何かあったの?

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 15:18 ID:rqgg3VRq
УрадыВастокはロシア人が建設した都市なので
ロシア人の来る前は何もなかったですよ。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 16:15 ID:v+mkD+Bb
満州人は漢人との戦いで兵が足りなくなると、民族的に近い女真人で補充してたので、
最初にコサックがアムール川沿岸に来た時はガラガラだったそうな。

コサックは、基本的に食料は現地調達 農耕は弱い者がすることとして忌み嫌っていたので
定住民が見つからなく、交換も略奪もろくにできなかった。

一度 大兵力で山脈の北に追いやって
ロシア人も姿を見せなくなってからは
間接統治というか ちっちゃい町に漢人の役人を置いて連絡体制を敷いたくらい。

ちなみにそういう所でプチ朝貢があり
お返しとして清の官服を先住民に与えた。

それを松前がアイヌ経由でぶんどったものが「蝦夷錦」。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 16:56 ID:geLxfqsO
>>9
せっかくロシア文字を使っているのに綴りを間違えてるよ。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 17:50 ID:f/hjc2+X
>>9
ロシア人が来る前は人影もまばらな一漁村。
一部のヨーロッパ人の間では「ポート・メイ」の名で知られていた。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 22:45 ID:eZuypAEo
渤海王国時代は東京竜泉府が浦潮あたりにあったりで
日本海航路の港町として栄えていた時期もあったんだけど、それっきりだったのか・・・

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 23:30 ID:94QXG8D2
沿海州も最近は漢人が増えてきているんじゃなかったけ?

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/23 00:54 ID:1w9nSjdI
1989年 国勢調査

アムール下流、キジ湖      オロチ(ウルチ) 0.9千人
アムール下流          ウデゲ(ウデエ) 2.0千人
ウスリー、アムール       ゴルド(ナナイ)12.0千人
アムール下流          オルチャ     3.6千人
アムール中上流         オロチョン    0.9千人
アルグン川流域         ネギタル
                (エルカンベンエ)0.6千人

アムール下流とサハリン北部   ニブフ
                (ギリヤーク)  4.7千人

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/23 14:10 ID:GmrI6RCI
ウラジオストクは昔からナマコがよく獲れることで有名。
この地にロシア人が初めて入ってきたとき、金角湾のほとりにはわずか
3ヵ所に中国人の小屋があっただけで、漁期だけやってくる中国人漁師が
住んでいた。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/23 21:25 ID:RLMi5Rxe
渤海や契丹、金や元の領土に属していた時期は
何かあったんじゃないのか? 放置ってことはなかろうに?

18 : :02/02/24 08:28 ID:vUinxea9
元々、中国東北地方、沿海州は先住民が原始的な暮らしをする場でしかなかったんじゃない?



19 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/24 15:24 ID:tBxXru7K
少数の人々が原始的な生活を続けてきた。

こういう地域の歴史の話はちょっとキツイナ。
彼らの民族性の話ししかできない気がする。

後は 南や西から来た人々が
彼らをどう見たか、どう捉えたかって話とか。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/24 20:26 ID:g7UbeacT
>>19
靺鞨人について中国の記録は
「背が高く、豚を飼育している。冬は豚の油を塗って寒さをしのぐ。
東夷のなかで一番不潔である」
と書いてある。

21 : :02/02/24 21:04 ID:5fUW+uzf
でも、本当に不思議だよ、何で少数の満州民族が全中国の
支配者になったのか?

元々、遊牧生活を営んでいたんでしょう?

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/24 21:10 ID:qosGIRkg
>>21
明朝側にも負ける原因があったかも。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/24 22:05 ID:o57X4Ul8
>>21
ヌルハチの時代で既に明も内側から崩れかけていたしね。
漢人の李自成がそこを突いて崩し、
漢人同士でポスト明を巡って内輪で争ってたから
結束すれば防げただろう満州人による北京陥落も
あっけなくヤラれてしまった。

24 : :02/02/24 23:06 ID:0meuxPcq
要するに、漢族の混乱に乗じて満族が天下をとったって事?

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/24 23:35 ID:o57X4Ul8
>>24
ピンポン!

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/24 23:53 ID:t5cEonQ3
満族が満州に住んでたのはあたりまえなんだけど
満州のどのへんに多く住んでたの?
やっぱり清の首都があったシェンヤンあたりが多かったのかな?

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/25 00:07 ID:XDq3DmDd
ヌルハチが最初に即位したのは今の瀋陽だった。
松花江と鴨緑江の間の平野一円が出身地では?

満州族の前身たる女真族とのつながりは?

28 : :02/02/25 11:44 ID:DNSEgwZm
女真族=満州族じゃないの?

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/25 12:35 ID:dWlne11e
>>28
定説と見ていいよね。
ヌルハチも自らを金の後継者と号し、金朝再興の意味で
清の前身を国名「後金」と号しているからね。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/25 13:16 ID:ffmnHWYv
女直や女真は ジュセン の発音に漢字をあてはめただけ。

南部の「建州女直」、
中部松花江沿岸の「海西女直」、
北部アムール川、沿海州の「野人女直」に別れ
森林ステップで半猟半農を営んできた民族。

漢人との接触から南部ほど新進的で民族的自覚も強い。

ヌルハチは建州女直族出身。
南部で漢人と戦いながら、北部で諸部を併合。

仏教では東方世界を支配する仏を文殊菩薩(もんじゅぼさつ)という。
満州族は酋長は文殊の生まれ変わりという信仰があった。
「満州」という語は「文殊」から出た。

ちなみに満州族という語は、清朝成立後にできた俗称。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/25 13:19 ID:1xKPITSY
沿海州にいたのは「野人」か・・・
名前からして未開の地扱いされてたのかしら。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/25 13:32 ID:qTAmGDy6
その満州の延長が朝鮮というふうに考えられていた。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/25 13:43 ID:ffmnHWYv
朝鮮も北部に住む人々を 「ヤーイン」と呼んで蔑視した。

「建州女直」「海西女直」「野人女直」は
漢人が 民族的統合を防ぐために
彼らの対立を煽りながらわざと使い分けて呼んだだけ。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/25 18:33 ID:vVmTaUBr
>>33
ははあなるほどね。
そういやウリマルの罵倒語に
「このオランケが!」ってのがある。
今の吉林省から沿海州にかけて住んでいた「オランカイ」が由来だそうだが、
直接接触することがあったのだろうか?

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/25 18:47 ID:TVco+LZ9
>>34
あるよ。高麗王朝期と李氏朝鮮中期に女真族の侵略を受けてる。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/25 23:37 ID:CMg/TmVW
正確にはジュルチン Jurchin 族というんだよ。
ジュルチンに漢字を当てたのが女真or女直という名称。
ジュルチン族のうちの1部族がマンジュ Manju 部族。

この民族は中国では
邑樓(ゆうろう)→勿吉(もっきつ)→靺鞨(まっかつ)→女真or女直(じょしんorじょちょく)と
くるくる名称が変わり、

ヌルハチの後継者にして中国の征服者、ホンタイジは
満州族を自民族の公式呼称にして
女真or女直の呼称を禁止してしまった。
そしていまにいたる。


37 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 02:04 ID:OpxGC3Mz
マンジュは部族名じゃなくて
ヌルハチが建州女直を糾合して建てた国の名前では?

>>21
満州族のもともとの生業は狩猟と農耕だよ。

38 : :02/02/26 12:08 ID:mNQvFP3P
近代以前に満州に大都市ってあったの?

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 13:29 ID:aELHQ7Sx
遊牧民族はいざって時 成年男子の数=兵力に転化できる。
農耕民族からすると とんでもなく効率良く平時から戦時に移行できるわけ。
遊牧民族→騎馬民族って具合。
特に 騎馬戦が有利な時代になってからはね。

だから戦史に登場してくる遊牧民族国家の人口は、かなーりちっちゃいわけで
町ぐらいの規模じゃないかな。

>>23
>>24
確かに明朝の内部が崩壊しかけてたところを突いたんだけど、
騎馬戦っていうのは、敵の弱いところを見つけて移動性の早さでもって
相手が陣を立て直す前に突くと。
逆に味方に分が悪い時は ダッシュで逃げるっていうのが基本的戦法。

機動性の優位を使って相手の弱いところをひたすらつっつくってのが
戦術であり戦略でもある。

「ウマ」っていう高速性の動物をたまたま遊牧してた民族
(女真は馬に乗って狩猟するってタイプみたいだけど)
が有利な時代があったってこと。

「ウシ」や「ヤギ」、「ロバ」の遊牧民族は戦史に登場してこないだろ?

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 18:04 ID:78xlRDq9
粛慎(しゅくしん)→邑樓(ゆうろう)→勿吉(もっきつ)→靺鞨(まっかつ)→女真or女直(じょしんorじょちょく)

粛慎(しゅくしん)、女真or女直(じょしんorじょちょく) は Jurchin より。
勿吉(もっきつ)、靺鞨(まっかつ) は Mongor or Mongol より。

中国人には区別がつかなかったんだろうか。

ちなみにモンゴル国の国営旅行社はモンゴル・ジュルチンっていう。

41 :  :02/02/26 21:55 ID:bw4pfJP2
渤海時代はかなりの繁栄だったはず。
渤海は親日的な国で、日本は渤海と同盟を組んで新羅を滅ぼそうとした。
ただし、渤海は高句麗の残党が作った国。
その渤海を滅ぼしたのが女真の契丹に滅ぼされた。

でも渤海時代が、一番この地域が栄えた時代じゃないかな。


42 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 22:07 ID:VZ4+JdS9
>>41
白頭山の大噴火であぼーんしたんだっけ?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 22:08 ID:76CtN1U9
渤海時代には東京龍原府のような都市があったね。
現在の八連子。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 22:24 ID:OpxGC3Mz
>>39
明代の女真(とくに南部)は定着農耕をしていた模様。
人参や毛皮を輸出して代わりに農機具を輸入していたそうな。
ヌルハチも挙兵当初から城に住んでいたしね。

>>42
直接の滅亡原因は契丹(遼)に攻められたからだけど。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 22:43 ID:wRbbQfmj
刀伊の正体は?

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 22:55 ID:OpxGC3Mz
女真を当時の半島で「刀伊」と呼んでたらしい。
朝鮮語なのかな?

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/27 01:34 ID:kfHeyRIo
刀伊は小船で日本海を渡ってきたんですよね。
女真だとしたら、航海にたけた集団もいたのでしょうか。
現在沿海州にいる南ツングース系少数民族は
ボートで河川を渡るか川で漁をする程度。

それともまた別の民族だったとか?

48 :不思議?:02/02/27 04:29 ID:HruzXXJf
日本海ってそんなに大きな海とも思えないけれど
日本から沿海州へ遠征軍を出したということはないよね?
なぜ、あっち方面に領土を拡大しようとしなかったんだろ?
朝鮮や明国に比べれば、よっぽど簡単に征服できたであろうに。

49 : :02/02/27 08:02 ID:j4oh2IxM
>>48
日本が大きな侵略の危機にさらされたのが元コウぐらいでしょう?
要するに、あの近辺の海は潮の流れがとかが激しくて
中々軍を送るのが難しいってことだよ。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/27 18:37 ID:5GLGzgcE
>>48
日本海の北岸では寒流が南西方向に流れているから、
動力船ができるまで直接渡るのが無理だった、ということだね。
刀伊はそれに乗って日本までやってきた、ということ。


51 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/28 01:33 ID:Konb4QB0
女真族にも外洋航海する一団がいたってことスか?
実は航海でなく漂着だった可能性もあるかも。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/28 03:09 ID:C3ssz814
>>51
外洋航海というか、
沿海州〜朝鮮半島東岸と沿岸部を伝ってくれば案外ラクかも。

でも渤海からの使節は、季節風に乗って直接北陸まで来てたね。

53 :不思議?:02/02/28 04:30 ID:1tMkFGd0
>>49
>>50
そうなんですか・・・サンクスです。

54 :  :02/02/28 13:06 ID:Sq8qed6V
>>52
日本は遣唐使ならぬ遣渤使もかなりの回数出してるよ。
特に759年のものはう大型船2隻で120名以上の使節を派遣していた。
つまり、やろうと思えば、沿海州開拓はできた。
でも、東北・北海道の蝦夷にすらてこずってるのに、
わざわざ沿海州まで征服しようなんて気にはならないと思うけど。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/akira16/index5-2-1.html



55 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/28 20:29 ID:iEczCMcr
そもそも明治になるまでの日本人に
沿海州一帯についての地理的知識がどれほどあったろう?
ほとんど聞いたことがない・・・

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/07 00:50 ID:iVnDDgAz
出る酢・ウザーラage

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/07 15:35 ID:Qam/Ns7y
海蔘威age

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/08 21:57 ID:Jbg9yf3o
今住んでいる南ツングース系先住民の伝承からは
過去を知る手掛かりはないんですかね?
ウデヘ、ナナイ、オルチャ等々。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/15 04:18 ID:JMspnJ0Y
粛慎(みしはせ)とは結局何者?

陸奥=みちのく=道の奥、のさらに北方、
粛慎=みしはせ=道果て、との語源説もあるが。

文献の記述から察するに、アムール川流域で漁撈と狩猟を営んでいた
南ツングース系民族が一番妥当でしょうか。
平安時代に日本海を渡ってきた刀伊もやはりそうでしょうかね。
「アザラシの毛皮を交易でもたらした」との記録が手掛かりになりそう。
河川漁だけでなく海獣漁も行なっていたとすると・・・?

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/28 01:29 ID:SD7lM2eg
そういや学校の日本史で「刀伊の寇」って習ったが詳細忘れてしまった。
結局刀伊は何者でどこから何しに来たのだろう? 新潟にも来ているが漂着か?航海か?

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/28 09:25 ID:GAnUcWO3
>>60
一応当時はかなり被害もあったんだと思われ。

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