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埴原和郎の二重構造モデルって

1 :超はずかピー:01/10/31 14:24 ID:ifsmWctM
どうよ

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/07 20:47 ID:iDt+jdEd
あいつはバカか?
彼は東北に縄文系の血が強いと主張してはばからないが。
実際には東北地方は今や日本有数の弥生人地帯なのに。
仙台や秋田行ったことある人なら分かると思うが、
東北美人、いや東北人の持つ面長で長い眼という特徴は
現代モンゴル人やブリヤートに共通する特徴である。
実際に蝦夷蝦夷の子孫のような濃い顔が多いのは
ほんの一部の地域のみ。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/07 23:46 ID:azX2GzJK
本を読む限り非常に緻密な調査結果だと思うのですが・・・・
正しいかどうかはこれからまだまだ研究途中でしょうが、
あれあれだけの仕事をした人をバカっていえるって
逆にすごいなと思います。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/08 01:07 ID:dtuk+Efp
>>2 民俗板から出るなよ。他の板でまで電波飛ばして迷惑かけるな。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/08 06:39 ID:TJh58avC
アイヌ、沖縄が縄文人の血を強く引き、南方あるいは、古モンゴロイド
とした、埴原の説は消滅寸前である。
似ているとされてきた、アイヌと沖縄はかなり違うことが証明されて
いる。
アイヌはあきらかに北方系でその渡来ルートも西、または中央アジア
からシベリア経由、つまりヒマラヤの北方を抜けて樺太に達したと
いうのが有力となった。尾本恵市らの考え方である。

その後、弥生人が到来し、彼等も北方系だが、モンゴロイド化の
すすんだ人々で縄文人と混血し日本人が生まれた。
沖縄のみ南方要素も強い。

6 :四重構造モデル:01/11/08 09:45 ID:FA1vOyqq
私見だが
@南方系(スンダランド人)の漂流によるさみだれ的流入(4〜2万年前)
Aシベリア系古モンゴロイドの北海道・東北への流入(約2万年前)
Bモンゴル系新モンゴロイドの九州から西日本への流入(2万年前〜3000年前)
C中国系新モンゴロイド(弥生人)の流入(2300年前以降)

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/08 11:54 ID:95NYSnDP
>南方系(スンダランド人)の漂流によるさみだれ的流入(4〜2万年前)

海流の流れがまだ南九州に届かなかったんじゃないのかな?
1万年以内と見るのが妥当では?

>モンゴル系新モンゴロイドの九州から西日本への流入(2万年前〜3000年前)

1万2000年前〜5000年前まで半島には人がほとんど居なかったと
聞いているけど?

8 :四重構造説:01/11/08 12:44 ID:FA1vOyqq
>海流の流れがまだ南九州に届かなかったんじゃないのかな?
>1万年以内と見るのが妥当では?

日本国内では、約4万年前よりナイフ型石器による旧石器時代が
存在する。これは、関東や中部地方に多い。このことは、
黒潮の流れにより、その当時は、関東や中部と漂流者が流れ着いた
可能性がある。
また、藤村の捏造により原人が否定された今、2万年前(氷河期)
以前の旧石器人は、南方系か半島系以外考えられない。

>1万2000年前〜5000年前まで半島には人がほとんど居なかったと
>聞いているけど?

できたら、その説の出所を知りたい。さて、反論だが、
半島からの流入は、何度かの断続的な流入を想定している。
以下、可能性が高いものを示す。
1.約2万年前(氷河期)以降に、シベリア由来とされる細石刃文化
が存在するが、九州圏と北海道圏では様相が異なる。故に九州圏は
半島由来の細石刃文化と考える。
3.縄文前期、約6300年ほど前に、轟式土器圏が存在した。九州一円
山陰、瀬戸内に分布し、主に海岸沿いにあり、朝鮮半島南部にも分布を
広げていた。

9 :2:01/11/08 13:16 ID:EtoBsEJA
別に電波を発しているわけじゃなくて、
俺も埴原の2重構造モデルは実際に読んだ。
そこには詳しい調査結果を元に
東北地方の縄文形の濃さと、近畿地方の縄文形の濃さが主張されている。
近畿ネイティブの人に弥生系の血が濃いのは人々の顔立ちから納得がいく。
でも俺が実際に東北各地に行ったとき、
仙台やら飽きたやら福島やら
どの都市にもそんなに濃い顔の人はいなかったなー。
むしろ近畿並みかそれ以上にのっぺり顔の方が多いくらい。行ったことある人なら分かるでしょ。
濃い顔の人だったら関東ネイティブの方が多いよ。
何で埴原の説があんな調査結果を叩き出してるのか
不思議でしょうがないよ。

10 :9:01/11/08 13:19 ID:EtoBsEJA
ゴメン、書き間違え。
※近畿地方の縄文形の濃さ

○近畿地方の弥生形の濃さ

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/08 13:30 ID:TnywTx1a
>日本国内では、約4万年前よりナイフ型石器による旧石器時代が
>存在する。

へえ、そんな前から既にシベリア系古モンゴロイドは列島に
到達していたのか。

>縄文前期、約6300年ほど前に、轟式土器圏が存在した。九州一円
>山陰、瀬戸内に分布し、主に海岸沿いにあり、朝鮮半島南部にも分布を
>広げていた

その頃から縄文人は半島南部に渡来して縄文土器を残したんだね。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/08 13:31 ID:TnywTx1a
久々に名スレの予感・・・

13 :四重構造説:01/11/08 14:05 ID:FA1vOyqq
>>11
少し(かなりかも)私の説を誤解している。

>へえ、そんな前から既にシベリア系古モンゴロイドは列島に
>到達していたのか。
私の説では、シベリア系古モンゴロイドの流入は、氷河期(約2万年前前後)の
海退による陸つづき状態の時と考えている。
そして、同じシベリア系といっても、北海道から入ってきた人は
現在のアイヌ的な容貌、九州から入ってきた人はモンゴル人的容貌を
想定している。(この時点で人種的分化は完了しているという考え)
4万年前から日本列島にいたのは、南方系のスンダランド人の
漂流者の可能性が高いと思う。

>その頃から縄文人は半島南部に渡来して縄文土器を残したんだね。

うむ、これが問題です。半島人が日本にきたか、縄文人が半島に向かったか。
しかし、この轟式土器というのは、それ以前の土器とは連続性が
見あたらないため、半島人が進出してきたと考えた方が良いと
思われるのです。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/08 16:49 ID:1owVJopO
発想が貧困というか、他地への依存心が強い人だな。
何で西日本〜九州間で独自に開発されたという考えが出んの?

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/08 17:03 ID:joXdyjfB
>>11
半島には縄文人の人骨が一体も見つかっていません。
半島には渡らなかったのでは。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/08 18:31 ID:fgn41aou
縄文人の陶工が1人半島に渡来すれば済む事でしょう。
文化伝達なんてそんなものよ。

17 :1:01/11/20 16:58 ID:Kom0eddX
一週間書き込みがなくてあせったよ

18 :名無しさん:02/01/02 01:38 ID:HVEQXoAK
大分古いスレですが、ちょっとアラシます。
残念ながら、
縄文人が一人移住したくらいで文化は伝達されません。
なぜなら、土器の形はその土地の食習慣に関連しているからです。
中華鍋で湯豆腐を食う日本人はまずいませんし、
鰻でも、フランスなら平皿でナイフやフォークで食べるでしょう。

食習慣はなかなか変化しません。
土器の少しの違いが食材や調理法、食事の方法と深く関係しているのです。
土器の製造方法の伝播があっても、人の移動が相当の規模でないと、
現地の食習慣として採用され、土器がコピー化されることはないと思われます。

轟B式や曽畑式土器についてはよくわかりませんが、(土器辞典を見た程度)
硫黄島のアカホヤ噴火による大壊滅により、人の大規模な移動が起こった
と考えられているようです。
(例えば半島への緊急避難と、半島沿海からの渡来民を伴った帰還など)

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/02 02:26 ID:a7gw6r/M
居れもそう思うな。縄文人は早々に半島に渡って住んでた。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/02 13:35 ID:p2GzlPd3
縄文人が半島に渡ったとしてもわずかな数だろう。
半島には縄文遺跡はおろか、縄文人の人骨は一体も見つかっていない。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/02 21:31 ID:uC8TCG5a
まあ大局的に見て、埴原二重構造モデルに対する重大な反論はもはやない。
微修正を加えられつつも定説化するだろう。
問題は、埴原理論のおおもととなった小山理論、すなわち縄文弥生の
人口推移に関する洗練された統計手法である。
理論が問題なのではない。小山先生が「大学者」に見えへんことだ。
わしゃヘップで見たとき、ヨシモトの新しい芸風かと思った。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/02 22:46 ID:tgK4vevx
埴原説の大きな間違いは、縄文人やアイヌを南方系の古モンゴロイド
としていること。今や縄文人が北方系であることは確かである。
弥生系が100万来たというのも根拠があやしい。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/02 23:12 ID:ZtMf7RxV
弥生人と混血していく内にその中間が出来たんじゃなくて、
縄文人自体が進化したんとちゃうか。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 07:23 ID:53fVMAXC
そうだな、縄文人はシベリアで「寒冷地適応途中」だった半プロモン
に、少数のプロモンがくわわったものかもしんない。
小山論文の一遺跡あたり推定人数、やや少な目って意見もあるから、
紀元前以降千年ぎらいのネオモン渡来、五十万ぐらいかなあ。
年五百人。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/10 12:11 ID:MUL5eLo6
文化人類学系の後輩にきいたけど、「埴原二重構造モデル」は
修正を受けつつ定着しているみたい。
誰が「修正二重構造モデルの決定版」を提唱できるかの問題。
東北の日本海沿岸地方は、廻船によって近畿からかなり弥生系
遺伝子が運ばれているのは確からしい。また縄文人口の小山推計にも訂正が必要。
しかし東日本=縄文、西日本=弥生の大枠は、かわらないって。
問題は縄文人の渡来ルート。北回りか南まわりか、一部は日本海渡海か。
後輩説では数ルートにわたって縄文人が渡来したものの、
食料採取に不自由な西日本では減数したみたい。
その希薄地帯に弥生人が定住したんだと。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/10 13:03 ID:6vZoijhu
>202 名前:  投稿日:02/03/03 12:34 ID:KaqKcEbg
>水田稲作文化の担い手はだれか?

> 紀元前四世紀には定着し始めた弥生稲作文化は新しい大陸系農工具や金属
>器、水田造成の技術、住居や集落の形から宗教、墓制まで従来のスタイルを一
>変させる生活革命を伴っていた。
> しかし、その担い手まで渡来系集団と決め付けられないことが発掘でわかって
>きた。例えば、弥生前期の石オノにしても手オノのような新しい道具は渡来系の
>を用いるが、伐採(ばっさい)用オノなどは縄文系のものをそのまま使っていた。
> さらに、人類学的にも福岡県志摩町・新町(しんまち)遺跡の渡来系の「支石墓」
>に葬られていた人骨は縄文系の骨格で、縄文的な抜歯(ばっし)の風習が見られ
>た。神戸市・新方(しんぽう)遺跡でも弥生前期の墓に縄文系の人が葬られていた。
>渡来文化の影響は強烈だったものの、担い手の主体は在来人だったようだ。
http://osaka.yomiuri.co.jp/kodai/tokushu/kodaisi/minijiten.htm

東日本の弥生時代の遺跡から、縄文人骨は出てるの?


27 :Natural Water:02/05/04 13:51 ID:VSWAoTZ5
良スレあげ。
二重モデルというのは恐らく最も単純化したモデルであり、
詳細は新旧両モンゴロイドが何度も様々なルートで入ってきたというのが真相だろう。
いろいろトンデモ説もあるようだが
(北欧人・ポルトガル人と九州人がいずれも最初に出アフリカしたクロマニョン人の子孫だという説など)

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/04 20:10 ID:ngj8dGeB
埴原説はもうイケテナイよ
本人だって修正してるだろ
同僚だった人も全く違う意見だし、単純すぎたんだよ
もちろん良い所もあるけどね
埴原説は主観の多さが問題だったんだよ。考古学は難しいね

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