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師匠と弟子★出合いのスレ

1 :踊る名無しさん:02/03/30 18:12
ダンススタイル問わず、
教えてあげるよん、、、教えてくださいぃ
と、さき、師匠と弟子の出合いスレです。
三重のブレイキン師匠ぼしうちう。(ぺこ

2 :踊る名無しさん:02/03/30 18:17
" ; ;ヾ *;""#ヾ*;ヾ;i"i "; *
* ;"; "i "; *;ヾ;* ;"; "i "; *;ヾ;
" ;ヾ *; ;@;ヾ; ;"/"* ;";^"i ";ヾ;
ヾ* ;"; "i "; *;ヾ;"i "; *;ヾ;"i ";
ヾ;i;;ii ;iiメソ"i "; *";;,*
゛*|l!|| ll|ソ./i;^*.
 l;l!ll |l|           ゛
 l;l!ll |l|
  |:l||| |l| ,,      ∧_∧
  |;l!l| ||l.   曰   ( ´Д`)<はぁー  花見したい・・・
  |ill|| ll|.   | |   /    \    一人寂しく1ゲット
,, l|il|l l!|  ノ__ヽ   ||    ||
,, .,|::l|| !!|,,,,,||青||,,,,,,,||    | |_,,,,,,,,,
";:ノ;;;i!! !!ヽ ||酸|| ⊂_/\ ヽ \゛>  ,,
    ,,  ||カリ||  ▼ ,, \ / ̄) ̄)
  ,, ,,  ゙゙゙゙"""  ,┻   丶 ノ、ノ



3 :神に選ばれし179 ◆dP.hcQc2 :02/03/30 18:21
おれも、そろそろ弟子を・・・。


     あ、路上のパシリ違いますよ、おれは、かm



4 ::02/03/30 18:27
 しにたくなイ

5 :踊る名無しさん:02/03/30 18:40
ガティンコで師匠欲す・・・(しぶ

6 :踊る名無しさん:02/03/30 19:00
>>1 マジスレなのかな? 

7 :踊る名無しさん:02/03/30 19:08
6>マジスレデス!
ちなみに自分は三重のブレイキン師匠を求むなか。
なんですがこれがなかなか・・・(抱く抱く;
追伸:初心者から一歩って感des。

8 :踊る名無しさん:02/03/30 19:17
>>1
なんか、そそるんだけど
君は、ストリートでホモのスレ立てた人?
抱っこアリ? 

9 :踊る名無しさん:02/03/30 19:26
8>えあ!?違いますよ(切実に)
(抱く抱く=ダクダク=汗、という意味也(w
えっと、ブレイカーっすか?

10 :路上で踊る@名無しさん ◆zZMu.BeI :02/03/30 21:39
>>1タン
マジなら、T●M or S●Sに逝きなさい。
ネタなら…まぁ、がんばって盛りあげれ。


11 :祇園舞児:02/03/31 01:01
>>1
東京ピストルビートはんに
お願いしはったらよろし 
南多摩どすえ 

12 :踊る名無しさん:02/08/27 06:16
森下洋子の牧阿佐美から松山樹子への乗り換えは何なんだ?
守銭奴の御ばばは今でも「何なの裏切りは」と恨みを忘れていないぞ。

13 :28:02/08/27 08:22
>12
だって、橘先生は恩師だけど、牧先生は姉弟子にすぎないじゃん。
プリマも、大原さんが上にいたし、妹弟子も多数追撃。
橘先生は確かに多くのダンサーを育てたけど、昔の人間で、
エリアナ先生を尊敬するあまり、がちがちの反共で、森下洋子と
深川秀夫のペアでモスクワのコンクール出場の話が出てきたとき、
「絶対許しません」と握りつぶしたっていうし。
あぁ、それが実現してたら、、と思うときもあるよ。


14 :13:02/08/27 08:29
そして、若き後継者とちょっと野暮ったいけど、カンパニーが
まるごとプリマの座を提供してくれるなら、そこで踊るしか
選択の余地はないでしょう。A達E子を追い出し、主役の座を
脅かす若手は全部つぶして→今に至る、というわけですね。
モスクワのコンクールの話がもったいない、と思ったのは、
その時点で海外で活躍できる可能性があった、という点です。

15 :踊る名無しさん:02/08/29 02:06
橘秋子が亡くなると同時に、森下洋子は松山に行ったんだよね。
残された借金だらけのバレエ団と団員を抱えて一番苦しかった時代らしい。



16 :踊る名無しさん:02/08/29 13:06
>>13
立花明子って反共なの?
そんでもって、毛沢東思想のM山に逝って「白毛女」を踊るって、思想的な節操は?

17 :踊る名無しさん:02/08/29 15:53
>16
反共は橘秋子女史。親共は松山樹子。
橘バレエ団から、松山バレエ団に走ったのは、森下洋子。
いくら、森下洋子が橘先生を尊敬してるからって、
イデオロギーまで同じにしなくてもいいんじゃないかな。
それよりも、松山が中国から距離をとったほうが、節操ないじゃん。
毛沢東思想マンセーのバレエ作ったりしてたのにさ。
ちょうど、高円宮が公演に頻繁に来るようになったころからか、、、

18 :踊る名無しさん:02/08/29 19:23
>>17
あれは、あの頃ひげのオジイサンからエラのオジサンへのクーデターでもあったん
じゃないの?
急にクラシックのレパートリー増えたしさ。

19 :踊る名無しさん:02/08/29 20:31
森下洋子は橘先生も亡くなったし、哲太郎と踊りたくて松山に来た。
親中の創作バレエからクラシックに移行するのは、○田さん(ひげのおじいさん?>18)
が○ティを作るんで出てった時期と重なるね。
A達さんは彼氏が○ティにいて自主的に出てったんだよ。
その他ソリストは洋子さんに「あなた才能ないわよ」といわれ
残ったのは洋子タンマンセーの人ばっかり。
貞松○一郎が森下洋子と踊る話が出たときも団長が怒ってつぶしたんだよ。


20 :踊る名無しさん:02/08/29 20:53
age

21 :踊る名無しさん:02/08/30 07:39
>19 なんで潰すの? 自分より踊れるから邪魔だった?

22 :踊る名無しさん:02/08/30 09:22
sage

23 :踊る名無しさん:02/08/30 09:53
貴重な裏話が多いね、ここは。
芸術家も政治思想に左右される要素がかなり大きいということになるかな?
それには経済的理由もかかわるだろうし、才能ある個人を潰してしまうことも少なくない、と。
共産圏とナチスは芸術を大々的に保護するけれど、それは国民の関心を政治からそらすためだという説もある。
独裁国家の方が、芸術は花開くかも知れないね。バレエはもともと王侯貴族のものでしかなかったし。

24 :踊る名無しさん:02/08/30 17:12
帝政時代帝室に、旧ソ時代に赤い貴族共産党に庇護されていた
ロシアバレエが絢爛と豪奢に開花してたことを思うと、ペレストロイカ
以降は何というていたらくか、とは思いますね。でも、締め付けが
きつかったので、亡命や自殺も多かったし、、、。戦後の日本を考えると、
自前ではあまり芸術家を育てられなくても、海外の芸術文化を享受し、経済的
にもサポートできているのは、文化への大きな貢献だと思います。
サッカーのW杯を見ていても、そういうことを強く感じました。

25 :踊る名無しさん:02/08/31 02:56
http://ton.2ch.net/test/read.cgi/dance/1017067389/l50
↑のスレで叩かれているハルピン、上海帰りのおじーさんのことも教えてチョ・

26 :踊る名無しさん:02/08/31 08:42
ちょと勉強になりますた。。


27 :踊る名無しさん:02/08/31 09:06
帝政も共産主義政権も強大な権力のもと、財の一極集中と
再分配をするという意味で、芸術の庇護者としては
同じ意味を持つ。
日本は芸術もスポーツも全部小市民が自前でやってるんだから
偉いよ。森下洋子はお金の無かった当時の橘から、踊れる場所
へ移ったという見方も出来る。

28 :踊る名無しさん:02/08/31 14:39
>25
K牧氏については、知る人は少ないんじゃないかな。
同時代に(戦前上海?〜戦後T女史、T刀川女史との離婚まで)
活動を共にした人でなければ知らないだろうし、いまさら
暴露するとは思えないし。ただ、年期だけ入ってるバレエファン
で、業界素人の私でも、毀誉褒貶の激しい人という印象です。
ン十年前、バレエ雑誌なんか、「テス」しかなくて、内外のバレエ情報
集めるのに苦労したもんです。歳がばればれですね、、、、

29 :踊る名無しさん:02/08/31 14:46
>>28
その人、まともなクラシックの教育を受けずに、ダンサーとしてはショーパブ
ダンサー程度というのは本当ですか?
プロデューサーとしての力量はあったらしいですけど。




30 :踊る名無しさん:02/08/31 15:06
>29
亡命ロシア人にバレエを叩き込まれ、コースチャと
呼ばれるほど実力をつけた、と聞いてますけど?
上海では、舞台に立ち、プロのダンサーとして
踊ってたのがその証拠だと思われます。最もこの目で
みたわけじゃないけど。そして、「まともなクラシックの
教育」受けた人なんて、戦後谷先生たちが留学するまで、
日本人には誰一人としていませんでしたが?
エリアナ先生は、趣味でバレエ習ってた程度だし、
オリガ先生も、ワガノワの先生に個人で習ってただけ
みたいだし、、、。オリガ先生の振り付けは、昔の
マリインスキーの振りらしいです。


31 :踊る名無しさん:02/09/01 09:04
>>31
>>「まともなクラシックの教育」受けた人なんて、戦後谷先生たちが留学するまで、
>>日本人には誰一人としていませんでしたが?
ハァ?
洲和みち子はオソフスカヤに師事しましたが、何か?

32 :踊る名無しさん:02/09/01 09:21
>>30
日本のバレリーナ
日本のバレリーナ史を創ってきた人たち

『バレリーナへの道』に連載した“日本のバレリーナ”の単行本化
 日本のバレエは、1912年イタリアからバレエ・マスターを招いたこと
から始まった。
その後の日本バレエ界を担ってきたバレリーナ20人の歩み。
 貝谷八百子、谷桃子、松山樹子、橘秋子、服部智恵子、太刀川瑠璃子、
大滝愛子、小林紀子、大原永子、小川亜矢子、加美早苗、松尾明美、
石井清子、岡本佳津子、佐多達枝、アベ・チエ、笹本公江、多胡寿伯子、
雑賀淑子、谷口登美子を収録。

文園社編■本体1600円
------------------------
1912年以前の説はまだ知りません。
けど、戦前のこと知らなさすぎ。
昭和初期には、お稽古ごととして普通の子供がバレエやってたよ。

33 :踊る名無しさん:02/09/01 09:30
>>32
1912年以前のことで言うと、5年くらい前、松山で、明治時代にだったか
ポワントを履いて踊った人のことやってたね。
詳しいこと知ってる人教えてチョ。
(しかし、このスレ、バレエ厨がのっとったかな?)

34 :踊る名無しさん:02/09/01 09:37
>>32
>>昭和初期には、お稽古ごととして普通の子供がバレエやってたよ。

普通はどうでしょう?

上海帰りのオジサンの話だと、バレエをやっているというとドイツの剃刀の
セールスマンと間違われたそうだし、
エリアナ・パブロワだったかのレッスン料って、ウンと高かったそうなので...


35 :踊る名無しさん:02/09/01 10:12
法村康之、友井唯起子はお教室で
教えてたし、発表会だってやってたよ。
「学校の担任の先生(男)も趣味でバレエやってたんだけど
スタイル良くて上手かった」と祖母が申します。
大阪は大金持ちじゃなくてもやっていたし。

36 :踊る名無しさん:02/09/01 10:19
>>35
大金持ちじゃなくて、手塚治虫の実家クラスと思われ。
普通かどうかは、そのクラスの暮らしをどうみるかでしょう。

http://ton.2ch.net/test/read.cgi/dance/1000927657/l50

37 :36:02/09/01 10:21
上のスレの531も見てね。

38 :踊る名無しさん:02/09/01 11:09
>>36>>37
わかるけど、昭和2年。手塚治虫が生まれる前の年には
宝塚で「モン・パリ」やってるわけ。
戦争で商都大阪が焼失する前の繁栄の記憶も
無かったことになるのは寂しいネ。

39 :踊る名無しさん:02/09/01 11:15
>>38
おお、タカラヅカ、>>31の洲和みち子の先生、オソフスカヤ。


40 :踊る名無しさん:02/09/01 12:07
オソフスカヤはペテルブルグで、ワガノワメソッドが、洲和みち子に受け継が
れたと。
しかし、ささちゅうがどっかで森下洋子や藤堂真子を育てた洲和みち子を称
えるべきだっていってたけど、もう、記憶の彼方に消えていってしまうんだ
ろうな。

41 :踊る名無しさん:02/09/01 12:19
志賀美佐枝も洲和みち子に習ってるんだyo。

42 :踊る名無しさん:02/09/01 12:30
>>41
志賀美佐枝、中村真理子が最後の世代だね。

43 :踊る名無しさん:02/09/01 12:34
>>42
だけど、どっちも中高生になると東京のバレエ団にでてきたね。
地方のお教室の限界かな?
東京だといろんな刺激も多いしね。

44 :踊る名無しさん:02/09/01 13:14
さ○ちゅーって、藤○さんを追い出したって噂聞いた
けどね、、つうか、あの年代から上のソリストをバサーリ
大量首切りとか、いたたまれないような仕打ちをして
自ら辞めるようにしむけたらしい。
間違いだったらごめんね、さ○ちゅ〜。

45 :踊る名無しさん:02/09/01 13:23
>>44
追い出したかどうかは知らないけど、その人に役が振られなくなり、その人
がすねて、バレエ団に行かなくなり、もう用済み扱いされてるんだと感じて
やめたんだよ。背後にどういう事情があったのかは知らない。でも表(どの
辺が表?、笑)の事情はそう。
ところが、塔婆で今その人なんか名誉職みたいなポジションについてる。
ま、大人の世界の手打ちということで。

46 :踊る名無しさん:02/09/04 20:42
洲和みち子の問わず語り...


「...あの頃は、洋子ちゃんのほかに3人娘といってうまい子もいたのよ。
洋子ちゃんがやっぱり一番うまかったけど、何か、可愛げがなかったのよ。」


小学生の頃から平日は洲和、葉室でレッスンを受け、土曜日に夜行で出発して
日曜日は橘...
いくらうまくたって、自分以外の先生を見つめている生徒を可愛く思えない
のは人の気持ちとして当然...(嫉妬も30%入っているけど...


こんな話は、森下洋子の伝記には絶対載らないだろう...

47 :踊る名無しさん:02/09/18 22:07
age

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